トップページ > ことばひろい > ことばひろい 第25回

ことばひろい

機関誌より『ことばひろい』を掲載しました。

■ 第2期






■ 第1期


第25回:『 「僕のこと忘れないでね」 』
ののさわ事業所主任 成田知道

2019年3月15日発行(機関誌127号)

「僕のこと忘れないでね」

「僕のこと忘れないでね」。この仕事の駆け出しだった頃、奥中山学園で担当していたA君が卒園の頃に繰り返しそう言っていたのを覚えています。A君はたくさん「言葉」で語る子で、彼からは多くの宿題をもらったと思っています。彼と過ごした日々は、いわば私の原点なのです。

奥中山学園からののさわ事業所に異動して5年になります。学園では思春期の子ども達との賑やかな毎日でした。

5年前、ののさわ事業所のホームに初めて自分一人で入った時、なんとなく「寂しいなあ」と感じたのを思い出します。特にそれは食事の時間に感じられました。利用者の皆さんは黙々と食べていて、聞こえるのはテレビの音と、食べる音、食器の音、そして私自身が口にした声がけの言葉のみという感じでした。ふと「会話がない」と気づき、寂しい感じはそのことが大きいと思いました。仕事をしていてそんな風に感じたのは後にも先にもあの時だけです。

しかし今では、あの時のような寂しさを感じることは全くありません。五年の間、一つ屋根の下で同じ釜の飯を食べてきたという事実が、初めの頃の寂しい感じを遠のけていったのだと思います。食卓の状況はそんなに変わってもいないのに不思議なものです。

君看双眼色(キミミヨソウガンノイロ)
不語似無憂(カタラザレバウレイナキニニタリ)

この機関誌上で以前にもどなたかが引用されていた言葉です。白隠禅師の禅語だといいます。よく知られている解釈はだいたいこんな感じになります。

「あなたには分るだろうか、二つの眼に浮かぶ心の揺れが。何も言わないので、まるで何の憂いもないように見えるだろうが、本当はそうじゃない。言わないだけ、言えないだけなのだ。」

ののさわ事業所のホームにいると、この言葉の指し示すものが実感されます。

利用者の皆さんは、いわゆる「言葉」によらない方法で自分の気持ちや状況を表現することの方がはるかに多いと思います。例えばそれは健康面の変化として表したり、行動の変化として表したりといったことです。だから日々のバイタルチェックもしているし、何かいつもと違った様子がないか職員同士で話題にするようにもしています。それでも、利用者の皆さんの心の奥深くにあるものをどこまで受け止めることができているのだろうか、とも思います。

ただ、この五年間で利用者の皆さんと、ともに一つ屋根の下で同じご飯を食べてきたという時間のもたらすものは大きいとも感じています。相手の気持ちの正確なところはつかめなくても、お互いを理解するための共通の土台のようなものは知らずしらず築かれるものなのでしょう。だからこそ最初の頃の“寂しさ”もいつの間にか感じなくなり、お互いに気心の知れた間柄に近づいていけるのかも知れません。

時々ホームの利用者さんと少しばかりシビアなやりとりになることもあります。いわゆる「言葉」のやり取りというよりも、心と心が真正面から向き合うようなやりとりです。いきづまったように感じた時は心の中で、A君の名を呼んで「どうしたらいい?」と聞いている自分がいます。もちろん目の前にいない人から何か返答があろうはずもありませんが、不思議に最後には利用者さんとも仲直りすることができます。たぶん私にとってあの彼は、今目の前にいる利用者さんの代弁者のような存在なのかも知れません。だから何か手掛かりを求め、思い出の中の彼に話しかけるのでしょう。

そして今になって思うのは、人の気持ちを理解できるかどうかというのは、いわゆる言葉の問題ではないということです。少なくとも狭い意味での言葉ではないように思います。共有するものを積み上げていくように、相手のことを大切に思いやる関係性をじっくりと築き上げていくことだけが、人の気持ちの理解につながる道筋のような気がするこの頃なのです。

A君、君のこと、忘れていないよ。何よりも君から教わった一つひとつを…。

ページトップ