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ことばひろい

機関誌より『ことばひろい』を掲載しました。

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第21回:『 うちの子は・・・心配しないで・・・ 』
事務局主任 笹森雅弘

2017年11月15日発行(機関誌123号)

うちの子は・・・心配しないで・・・

「職員がこえぇ(怖い)からじゃねえか」、「これがあたりまえだよ」、「何のことかわかんねぇからな」…。 全て、小さき群の里やののさわ事業所(以下「里」)の利用者(以下「彼ら」)の親御さんなどから発せられた言葉である。

私がカナンの園と出会ったのは1995年5月、福祉という意味すら分からず、なんとなく働き始めたというのが正直なところであった。 それでも、私が今もこうして働いていられるのは、彼らやそのご家族からの言葉に何かを感じ続けてきたからだと思う。

 私は事務職員として里の配属となり、1週間に1度ホームへの宿直や、2か月に1度程度の頻度で半日の作業など、支援職員の補助として彼らと接していた。担当職員の配慮もあり、 私自身も彼らを少しではあるが理解したように思える時期の出来事だった。

ある時、Aさんが帰宅する際の引継ぎを担当職員に代わって私がすることになった。 Aさんが里で担っている役割や業務を、私なりにAさんの努力を伝えるつもりで話したが、親御さんからは「Aは職員がこえぇからやっているだけじゃねぇか?家ではそうでねぇから。」と。 また、ある時は、カナン祭の開始前に興奮気味のBさんを目の前にして、親御さんから「Bは家ではこれが普通だよ、静かにしている方が普通じゃないよ。」と言われた。 そして、年金喪失事件の時には「Cはお金の使い方も分からないから…、でも人の金を使ったのはよくないことじゃないのか。」との重いことば。 私たち職員は一人ひとりが彼らの前に立つ者として、根本を問われたことを今でも鮮明に覚えている。

今思えば、彼らの里での生活、さらにその一部分しか見ていない私が、全てをわかっている親御さんに対して、「Aさんの生活能力は高いですよ」、「Bさんは落ち着いて皆と行動できますよ」などと話すことはなんと傲慢だったことか、と思う。

年末やお盆が近づき私たちが着替えの用意をすると自らカバンを用意するDさんや、自分を丸ごと受け止めてくれるご家族のもとに喜びを爆発させながら帰宅していくEさん。 父親の棺を前に、一生懸命語り掛けて自分の存在を気付かせようとし、そして、反応がないと目に涙をためて受けとめようとするFさん…。 彼らは私たちが思うよりもはるかに物事を理解しており、人の気持ちを汲み取る力があることに感動させられる。

親御さんたちから投げ掛けられる言葉一つひとつが、全て私たちに「うちの子どものことをわかっているのか」との問いかけではないか。 そして私は彼らのことを理解してはいない。そんなことを悩み、教えられた大切な時期でもあった。

その後、私の業務内容の変化や体制の変化などで、一つの敷地内にいても彼らと過ごす時間はほとんど無くなっていき、さらに暫くして、私は異動となった。 行事などで彼らと顔を合わせる時以外、日常的に会う機会はますます減っていったが、会えばいつでも変わらずに話しかけてくれ、握手を求めてくれる。 仕事などでの悩みや不満があっても、彼らはいつもと変わらず声を掛けてくれる。彼らと離れて初めて、彼らを理解しきれていない私を、丸ごと受け止めてくれる彼らがいることに気が付いた。

1年前に亡くなった親御さんが亡くなる直前に「Gのことは心配していない。」と話してくださった。 それは、Gさん自身や関わってきた先輩職員の努力、そして利用する方々の存在そのものを丸ごと受け止めてくださる奥中山という地域での様子を肌で感じてきたから出てきた言葉だろう。 「この子のおかげで自分は成長させて貰った。」と話される親御さんも多い。私自身の里に来てから現在までの20数年間も、彼らだけではなく親御さんのお陰で少しは成長すること出来たのではないか。

彼らやその親御さんから「心配していないよ。」、私たちは「心配しなくていいですよ。」と語り合えるように、彼らやその親御さんの声に耳を傾けながら互いに人生を歩んでいければと思っている。

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