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ことばひろい

機関誌より『ことばひろい』を掲載しました。

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第18回:『 おとっちゃん 』
ののさわ事業所主任 長内正敏

2016年11月15日発行(機関誌120号)

おとっちゃん

2007年10月、一人ひとりが地域で当たり前の生活を、との願いから自活訓練棟「まきば」「よつば」ホームが奥中山の住宅地に建てられました。 これを機に当時の入所施設小さき群の里でメンバー構成や職員の配置が再検討され、私は翌年「まきば」ホームの担当となりました。 以前担当していたホームは、年齢的に若く元気がいいメンバーが多かったのですが、「まきば」ホームは医療的配慮が必要な方が多く、 てんかん発作を持った方や身体麻痺のある方、そして重い心臓疾患を抱えたN・Sさんなどのメンバーが暮らしていました。

N・Sさんは24時間在宅酸素療法を必要とし、運動・食事・水分などにも制限があり、作業に出勤することもできずホーム内で過ごすことがほとんどでした。 日々のバイタルチェックなど医療面での配慮が欠かせず、就床後も心配で、泊まりの職員は寝息のチェックをしにいくほどでした。 身体も小さく、入退院も繰り返していた彼女でしたが、ホーム内で気持ちが落ち着かない利用者さんがいると「あらら○○さんダメでしょ!」と声をかけたり、 他のメンバーもN・Sさんのことは一目置く存在でした。

そんな彼女は、いつも私のことを「おとっちゃん」と呼んでくれました。私とそれほど、年の差はありませんでしたので、初めて聞いた時には、少し驚きました。 しかし、何度も聞いているうちに不思議な心地良さを感じるようになりました。小さい頃より両親と離れて暮らしていた彼女にとっては、 お父さんのような存在に見えたのでしょうか。

彼女は歌うことが好きで、よく演歌やピンクレディーの曲を一緒に歌い家族のように過ごしていたように思います。 食事量にも制限がありましたが、よく「おとっちゃん、チョコレート、まんじゅう」と、食べたいものを訴えてきました。 私がこっそりとほんの少しあげると「あらら、なんじゃこりゃ」と満面の笑みで喜んでくれたり、ということもありました。

そんな彼女も緊急入院が増え、病院で過ごすことが多くなり、私も付き添いで泊まることが多くなりました。 苦しいながらも懸命に何かを訴え、不安定な状況を何度か乗り越えてはまたホームに戻るということを繰り返していた彼女でしたが、 2011年5月、体調が急変し、岩手医大に入院しました。私は、彼女はまたいつものように元気にホームに帰ってくる、と心の何処かで考えながら付き添いをしていました。

そのような中に「その日」が訪れました。付き添いが続いていた私は、その日、他の職員に代わってもらい着替えを取りに自宅に向かっている途中でした。 携帯電話が鳴ったのです。N・Sさんの容態が急変し亡くなられたとの連絡でした。あまりにも突然のことでした。 私が悲しむことを知り、彼女は時を選び逝ってしまったような気がしました。悲しみの中にある私でしたが、最後に「おとっちゃん」としての役目があるような気がしました。 ワゴン車に彼女の愛用の寝具を積んで、病院に向かいました。病院に着き、病室に行くと彼女は安らかな顔で眠っているように見えました。 その時、何故か脳裏に「君は愛されるために生まれた、君の生涯は愛で満ちている…」という賛美歌が浮かんできたのです。 涙の止まらない私でしたが、彼女の亡骸を車に乗せ、仲間の待っている奥中山に向かいました。 ホームに着くと、前の広場に小さい頃より一緒に過ごした仲間たち全員が、彼女のことを待っていました。 皆で最後のお別れに賛美歌を歌って送り、N・Sさんはご自宅に向いました。

本当は苦しいこと、辛いことがいっぱいあったはずです。 しかし辛い顔ひとつせず、私たちにいつも笑顔を見せてくれました。今、本当のお父さんお母さんと天国で楽しく過ごしていることと思います。 N・Sさん、「おとっちゃん」は、いつまでも忘れませんよ、貴方との出会いは私の支援者としてのあり方に大きな影響を与えてくれました。 これからも、心や身体に弱さを抱えている人達の支えになれるように頑張っていきたいと思います。 楽しく過ごせたことに感謝しています。 ありがとうございました。

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